鶴橋駅でJRから近鉄に乗り換えの際は,高架から地上駅に移動するのですが,乗り換えたい急行列車に間に合うため急がないといけないことがあります.乗り遅れたところで近鉄は大和八木に先着する特急がその後に控えていることが多いので,時間的な部分でロスするケースは少ないのですが.
ひのとりに助けてもらう pic.twitter.com/MIfQC03wM2
— めどぶぶ (@medbb) 2020年4月8日
とはいえ,約500円ほど出費が嵩むことになりますからなるべく急行で行きたいところですので,下りの階段を周囲の流れに乗りながら急ぐ日々です.
JRの高架駅の近鉄乗り換え口には近鉄の発車標があるのですが,出発間際になると発車時刻が空白になります.その場合とりあえず電車がホームにあるのか確認するわけですが
ホームに電車がなければ行ってしまったわけであきらめるのですが,このように停車しているとかなり焦るわけで,気持ちと目線が電車に行ってしまうと階段を踏み外しそうになります.
ここで学んだことは未来の願望をかなえようとしたときどのように行動すべきかというところだったと思います.電車を確認をしたら,あとは黙々と階段を一段一段周囲と足元を見ながら,降りていくようにすることでした.ホームについたときに電車が出発していたら,それはどうしようもないと納得出来ましたし,間に合ったら望んでいた未来が来て嬉しかったということでしょうか.
そんな私は,高山市 飛騨市 白川村 女性のライフステージごとの健康サポート事業アドバイザー として,「2050年の健やかに年齢を重ねる飛驒の女性たち」というテーマでフューチャー・デザインという手法に基づき地域の住民の皆様が未来を思い描きながら,今何をすべきかということを考えていくワークショップに携わりました.
12月19日に住民の皆様から行政に対して提言としてプレゼンしていただき,ただいまその時の資料をまとめているところです.
ちなみに今回のフューチャー・デザインに関するところで過去に,以下の話をしていました.
https://medbb.net/education/futuremed20190406
実際には「仮想将来世代」の集団を作る手法でグループに分かれて進行したわけです.思い描く未来が一致していない部分がありながらですが,それぞれが思い描く未来像から年表を作成していきました.
フューチャー・デザインによるワークショップに直接関わったのは初めてで様々な知見を得ましたが,上のサイトに記した通り「関係者一同が同じ未来を思い描いて議論できるのかが,気になる部分.」に関しては実際に携わった結果,全く不要とも思えずモヤモヤしています.その部分はフューチャー・デザインを提唱された西條先生(高知工科大学)から「フューチャー・デザインの考え方では同じ未来を思い描く必要はなく議論が成立すれば問題ない」とコメントいただいています
以前,奈良県のへき地診療所医師派遣調整会議にて医療提供体制の今後について話をしたことがあります.
https://medbb.net/education/naracommed20191030/
現状の医療提供体制を出発点として想定される未来を提示したうえで,現状の解決すべき課題について述べました.現世代が想定される未来に基づきバックキャスティングすることを提案した話でした.電車がホームについていることを念頭に置いてともかく転ばないように一歩一歩進めていく格好でしょうか.その中で状況は変化していきますから,毎年一歩づつ,未来を思いつつ現状に向き合いながら検討していく格好と思います.(会議は毎年開催しますので)
私は鶴橋駅の経験によりバックキャスティングしていくことの重要性を肌身で感じておりました.階段を踏み外したら電車に乗れないだけではなく救急車に乗っていたことでしょう.
バックキャスティングは想定される未来から現代までの経過そのものについて深く議論しないのに対し,フューチャー・デザインは不確定な未来から現代まで逆算してある程度道筋を立てるというところが大きな違いでしょうか.ですからフューチャー・デザインの場合は未来の立て方によっては次の一歩に向けてエレベータに向かって歩けという提言や,切符の確認をしましょうとか,デラックスシートを予約しましょうなど,斜めからの提言も期待出来るというメリットがあるように解釈しています.(階段を降りていくという,なんとなくみんなが持つ道筋(前提)にとらわれない,広い視野での提言というところでしょうか)
そのような意味で,今回のワークショップのおいてフューチャー・デザインを用いたことは良かったように思います.想定される未来を提示するスタイルだと進め方によっては住民の方にとってはどうしても窮屈な議論に陥りやすく,結果住民目線の提言につながりにくくなるので.
ただし,フューチャー・デザインの場合は違う未来を念頭に置いた議論になるので,現代人に対する次の一歩に対する提言は,ある種の変わらない部分の前提が合意形成,もしくは提示されていないと,次なる一歩につながる具体の話がなかなか得られないだろうなと感じました.故に状況に応じた運営が求められ,運営サイドの負担も大きくなりやすいと感じました.型にはめにくいというところでしょうか.
自身不連続な未来がいくらか訪れていますしそのような方は多いと思います.また,社会においても起こっています.その中で思うところは次の一歩が未来への可能性を閉ざさないようにすることが求められているのだと思っています.これからも不連続な未来が訪れると思いますが,自身の人生に対して私の出来ることは目の前の階段を踏み外したりして態勢を崩したりしないことでしょうか.態勢を整えておかないと不連続な未来が来た時の対応が難しくなるから という結論に至りました.
さて過去の私ですが,鶴橋の階段から想定外の連続だったようで,なにやら不機嫌なツイートですね.急行に乗れなかったんだろうなと思います.そして乗車した特急は伊勢志摩方面行の観光特急ですから,お弁当広げて楽しく談笑しているの当然ですし.カリカリしちゃだめですよね.失礼しました.
機嫌よく人生を歩むためにどうしたらよいのか鶴橋駅は私にいろいろ教えてくれます.
SDは残量ないから昨日の動画とれてないし、近鉄乗換時に高校生からエルボーが入るし階段歩いてたらおばさんが後ろからヒザカックン仕掛けてくるし、特急でやっと座れたら通路挟んでうるさいおばさん二人組が弁当食べながらベラベラ。こんな日もあるさ
— めどぶぶ (@medbb) 2015年10月18日